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	<title>インターネット歴史事典 &#187; 上杉謙信</title>
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	<description>日本や世界の歴史上の人物や出来事をご紹介しております。</description>
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		<title>上杉謙信</title>
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		<pubDate>Fri, 03 Apr 2009 23:39:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[上杉軍団]]></category>
		<category><![CDATA[上杉謙信]]></category>
		<category><![CDATA[越後長尾家]]></category>

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		<description><![CDATA[長尾景虎、のちの上杉謙信は末子のために父に愛されず、寺に預けられていましたが、兄が病弱のために、
弱冠14歳で守護代名代として戦国の世の真っ只中に放り込まれます。

彼の性格として、義に厚く、潔癖で、無欲。異常な宗教心や [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>長尾景虎、のちの上杉謙信は末子のために父に愛されず、寺に預けられていましたが、兄が病弱のために、<br />
弱冠14歳で守護代名代として戦国の世の真っ只中に放り込まれます。<br />
<P><br />
彼の性格として、義に厚く、潔癖で、無欲。異常な宗教心や直情径行、感情の起伏が激しい、人間関係の構築が苦手、ホモの傾向などが<br />
昔から言われてきました。<br />
<P><br />
確かに、上洛し天皇に拝謁したり、室町幕府を重んじて戦さに破れた関東管領を助けました。<br />
川中島の合戦の原因も北信濃の豪族を助けるためでした。<br />
その一方、下の年表でもわかるように、何回も有力な部下の反乱にあっています。<br />
<P><br />
しかし、守護の上杉氏の力を借りて守護代になり、その上杉氏の縁で越後にやってきた関東管領を押し立てて小田原城を攻囲し、<br />
その間にちゃっかり鎌倉で関東管領に就任するなど政治的な手腕では、むしろ<A HREF=../uesugi/kensin.php">武田信玄</A>をしのぐ感すらあります。<br />
後年には、駿河の今川氏と同盟したり、一時的に北条氏と和平したり、<br />
はじめは鋭く対立していた加賀一向一揆とも、織田軍来襲によって同盟を結んで、<br />
手取川で柴田勝家を撃破しています。<br />
<P><br />
上杉謙信のもうひとつの特徴は、ともかく、彼自信がよく行軍し、よく戦闘をするということです。<br />
<P><br />
たとえば永禄4年には、上野の厩橋城（今の前橋）で正月を迎え、3月に小田原まで行って小田原城を攻囲し、<br />
閏4月に鎌倉鶴が岡八幡宮で関東管領への就任式を行い、6月に越後に帰国。<br />
8月に信濃の妻女山に布陣して武田信玄と対峙し、9月10日に八幡原で武田軍と激闘を演じます（有名な川中島の戦い）。<br />
これで、かなりの痛手を受けたはずですが、11月には関東の武蔵生山で北条軍と戦っています。<br />
<P><br />
まさに東奔西走、獅子奮迅の活躍ですが、彼が天才的、超人的というだけでなく、<br />
行軍するにも糧食が必要ですし、褒美がなければ誰も命をかけて故郷を離れた土地で戦えるものではありません。<br />
越後というと佐渡金山が思い浮かびますが、これは江戸時代に開発されたもので、この時代のものではありません。<br />
<P><br />
謙信はどうやら経済観念に優れた武将であったようで、領国内に近代的な税制を敷いて、<br />
米だけでなく工芸作物などからも税金を取り立てるとともに、謙信を頼ってきた北信濃や北関東の武将達に金銭や糧食を貸し付けて、<br />
高額な利子を得ていたようです。<br />
<P><br />
言い方を変えると、中世の領地＝農地を財政基盤としたのではなく、近代の鉱工業を含む生産と流通の全てに税を課す、<br />
近代的な絶対王政的な支配体制を確立していたということです。<br />
こう考えると、自らを毘沙門天の化身とした謙信は、自らを神とした織田信長と本質的には同じであったと言えるでしょう。<br />
<P><br />
ともかく、京から遠く、武田信玄や北条氏などの強敵と接していた上杉謙信は、<br />
上洛も関東制覇も達成することなく脳梗塞で病没してしまいました。</p>
<p><H3>上杉謙信（長尾景虎）の年譜</H3></p>
<p><UL><br />
<LI>享禄3年(1530)　越後守護代　長尾為景の末子として誕生<br />
<LI>天文12年(1543)　病弱な守護代の兄　長尾晴景の名代として栃尾城入城<br />
<LI>天文13年(1544)　栃尾城に来襲した長尾俊景を撃退<br />
<LI>天文14年(1545)　反乱した黒田秀忠を滅ぼす<br />
<LI>天文17年(1548)　兄晴景と戦い、越後守護上杉定実の仲介で守護代に就任<br />
<LI>天文21年(1552)　関東管領上杉憲政、長尾景虎を頼って越後下向<br />
<LI>天文22年(1553)　第1回の川中島の合戦<br />
<LI>弘治元年(1555)　信玄と通じた北条高広を征伐、第2回の川中島の合戦<br />
<LI>弘治2年(1556)　引退表明、のちに撤回、反乱した大熊朝秀を討つ<br />
<LI>弘治3年(1557)　第3回の川中島の合戦<br />
<LI>永禄2年(1559)　上洛<br />
<LI>永禄3年(1560)　越中富山城を攻撃、関東管領上杉憲政を旗印に関東出陣、沼田城を攻略<br />
<LI>永禄4年(1561)　小田原城攻撃(3月）、鎌倉で関東管領に就任（閏4月）、第4回の川中島の合戦で武田信玄と激闘を演じる(8月)<br />
<LI>永禄5年(1562)　上野館林城を攻略<br />
<LI>永禄6年(1563)　武蔵騎西城を攻略<br />
<LI>永禄7年(1564)　常陸小田城を攻略、第5回の川中島の合戦<br />
<LI>永禄9年(1566)　下総臼井城を攻撃、越中増山城を攻撃<br />
<LI>永禄11年(1568)　越中出陣中に本庄繁長が謀反<br />
<LI>永禄12年(1569)　北条氏康と講和、越中金山城を攻略<br />
<LI>元亀元年(1570)　下野佐野城を攻略、北条氏康の子の氏秀を養子とする<br />
<LI>元亀2年(1571)　越中富山城を攻略(3月）、上野総社城を攻撃(11月）、北条氏政、上杉謙信との講和を破棄(12月）<br />
<LI>元亀3年(1572)　上野石倉城を攻略(閏1月）、加賀一向一揆の蜂起(5月）、冨山城を攻略(8月）<br />
<LI>天正元年(1573)　加賀朝日山城を攻撃<br />
<LI>天正2年(1574)　春と秋に2度関東出陣<br />
<LI>天正4年(1575)　越中栂尾城、増山城を攻略<br />
<LI>天正5年(1576)　能登七尾城、末森城を攻略<br />
<LI>天正6年(1577)　柴田勝家を主将とする織田軍を手取川に撃破<br />
<LI>天正7年(1578)　急死（3月）、享年49</p>
<p></UL></p>
<p><HR></p>
<table>
<tr>
<td>
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</td>
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