豊臣秀吉
豊臣秀吉は日本史上で最も人気の高い人ですね。
農民から天下取りになった出世物語と、明るく庶民性に満ちたそのキャラクターが人気の秘密でしょうか。
豊臣秀吉は、小牧長久手の戦いの時に織田信勝と単独講和をはかろうとするのですが、
会談場所に彼は先に行っていて、信勝が来ると秀吉は土下座して迎えます。
また、徳川家康がついに折れて大阪城に来たときも、
前夜に家康の宿所を訪ね、平身低頭して感謝の意を表したことも有名な逸話ですね。
このあたりが「人たらし」と言われた秀吉の強みでしょうか。
貧農の出身だけに、妙なプライドがいっさいないということでしょう。
しかし、1代での成り上がりゆえに、譜代の家臣がいないのが致命的でした。
そのため、秀次などの近親者を要職につけざるを得なくなります。
秀吉に古くから仕えていた山内一豊や小姓あがりの加藤清正、福島正則らを重用しますが、
秀吉亡き後は、彼らはすぐに徳川家康側につき、関が原の戦いでは近親の小早川秀秋の裏切りにより、
豊臣家滅亡への道を突き進むことになります。
| 墨俣一夜城伝説の虚実を明らかにし、秀吉の出自をめぐる謎、九州に潜んだ秀頼の末裔、家康、元康すり替え説など闇に埋もれた秘史に大胆に迫る。 |
豊臣秀吉の年譜
- 天文6年 尾張中村に生まれる(1537年)
- 永禄元年 織田信長に仕える
- 永禄9年 墨俣城築城
- 天正2年 近江長浜城主
- 天正10年 本能寺の変で織田信長 自害、山崎の合戦で明智光秀を破る
- 天正11年 賎ケ岳の戦いで柴田勝家を破る、大坂築城
- 天正12年 小牧長久手の戦い
- 天正13年 関白
- 天正14年 太政大臣
- 天正15年 九州平定
- 天正18年 小田原の後北条氏を討伐
- 天正19年 関白を秀次に譲る、
- 文禄元年 朝鮮出兵
- 文禄2年 秀頼誕生
- 文禄4年 秀次を自害させる
- 慶長2年 第2次朝鮮出兵
- 慶長3年 死去(享年62)
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