平知盛

平知盛は平重盛亡き後の、平家軍の実質的な総大将でした。


勇猛果敢で、軍事的才能にも優れた彼は源行家軍や源義仲軍を何度も破りますが、
平清盛亡き後の一門の総帥となった平宗盛の政治力のなさや、
平重盛の嫡子平惟盛の軍事的才能のなさ、
関東武士を中心に源頼朝側へ寝返る武将が続出したことなどにより、
一の谷の大敗北を経て、壇ノ浦での平家滅亡に至ります。

平知盛の年譜


  • 仁平二年(1152年) 平清盛の4男として生まれる。母は時子。
  • 保元元年(1159年) 蔵人 従五位下 
  • 仁安三年(1168年) 正四位下 左近衛権中将
  • 治承四年(1180年) 宇治川の戦いで源頼政を破る
  • 養和元年(1181年) 尾張墨俣川、三河矢作川で源行家を撃破
  • 寿永元年(1182年) 権中納言 従二位 
  • 寿永二年(1183年) 源義仲軍の侵攻によって、平宗盛らとともに都落ち(7月)。水島の合戦で義仲軍を破る(10月)。
  • 寿永三年(1184年) 一の谷の合戦で源範頼、源義経軍に壊滅的敗北(2月)
  • 文治元年(1185年) 壇ノ浦の合戦を指揮するも破れ、入水自殺。



平知盛
知盛は讃岐平野で義経と壮絶な死闘の後、義経の申出に応じて神器の帰趨に係る秘密の和睦を結んだ。
側室祐子が平孫狩から守り抜いた知宗は対馬宗家の祖となった。