平清盛
平清盛こそが最初の武家政権を打ち立てたのであり、
その意味では日本の中世を切り開いた最大の政治家にほかなりません。
しかし、平家物語にあるように彼自身、ひどい熱病にかかって死に、一族も「盛者必衰」の定めから逃れられず、
滅びていきます。
また、同じ滅びたにしても平清盛は源義経に較べて格段に人気がありませんね。
平清盛の年譜
- 元永元年(1118) 平忠盛の子として生まれる
- 保元元年(1156) 保元の乱に天皇方として勝利
- 平治元年(1159) 平治の乱に勝利
- 応保元年(1161) 大輪田泊(神戸港)開削開始
- 仁安二年(1167) 太政大臣
- 承安二年(1172) 娘の徳子が高倉天皇の中宮となる
- 治承元年(1177) 鹿ケ谷事件発覚
- 治承三年(1179) 長男 平重盛 病没。後白河法皇を幽閉し、院政停止。
- 治承四年(1180) 建礼門院徳子の子 安徳天皇 即位。源頼政の反乱を鎮圧。福原遷都。
源頼朝、木曽義仲挙兵。京へ還都。南都焼き討ち
- 治承五年(1181) 熱病にかかり死去
この年譜を見ると、長男重盛の死去によって、平清盛は精神の平衡を失ったように見受けられますね。
時間をかけて体制を作り、長男に平家政権を譲ろうとしていたのに、その長男の死亡。
さらに他の息子や孫たちは到底、清盛を継ぐような器ではないとなれば、
ここで中世勢力を一掃しようとして無理をしたのでしょうか。
そこをつけこんだのが源氏で、
清盛が目指した中世は、かなり形を変えながらも頼朝に受け継がれていきます。
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中世前期政治史を研究する著者が、清盛を、変革期を迎えた貴族社会の一員として捉え直し、 その行動と政権の特質を通して政治家清盛の実像を描き出す意欲作。 |
