源頼朝
源頼朝は中世の武家政治を切り開いた第1級の政治家なのですが、
義経に較べて格段に人気がありませんね。
父親の義朝や兄たちは平家に殺され、弟の範頼や義経を死に追いやり、
自分の子供の実朝などは北条氏の陰謀で死に至って、結局、彼が再興したはずの河内の清和源氏は滅亡してしまいます。
彼の政治的な偉大さと、家庭的な悲劇との落差がなんとも痛ましいですね。
源頼朝の年譜
- 久安三年(1147年) 河内源氏の源義朝の三男として誕生
- 平治元年(1159年) 平治の乱で初陣。父義朝や兄たちは平家に殺され、頼朝は捕らえられ伊豆の蛭が小島に配流となる
- 治承元年(1177年) 北条時政の娘 政子と結婚
- 治承四年(1180年) 目代の山木兼隆を襲撃、石橋山の合戦で大庭景親軍に破れ安房に逃亡(8月)。関東の豪族を従え鎌倉入り。侍所を設置。富士川の合戦で平家軍が撤退(10月)。
- 寿永二年(1183年) 信濃に侵攻し、木曽義仲から嫡子義高を人質とする
- 寿永三年(1184年) 公文所、問注所設置
- 文治元年(1185年) 平家滅亡。義経追討の院宣を得る。諸国に守護、地頭を設置
- 文治五年(1189年) 奥州平泉の藤原氏を滅ぼす(全国制覇)
- 建久元年(1190年) 上洛。右近衛大将
- 建久三年(1192年) 征夷大将軍
- 建久六年(1195年) 上洛。東大寺再興
- 正治元年(1199年) 53歳で死去
「武家の棟梁」といえば源氏。義家、義朝、頼朝、義経、実朝の栄光と悲劇を社会史・女性史をふまえて描く。
