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源頼政

平家物語の最初の悲劇のヒーローとも言うべき源頼政(源三位頼政)は清和源氏の嫡流 摂津源氏の棟梁で、歌人としても当時から名高い人でした。

しかし、源頼政は源義朝などの河内源氏と較べて勢力が弱く、終始 後白河法皇側について戦ったわりには恩賞もなく、昇進のスピードも平家に較べてきわめて遅いものでした。

晩年になって平清盛の口ぞえでようやく従三位に昇ります。

ところが高倉宮以仁王をたきつけて平家打倒を画策し、宇治の平等院で自刃に追い込まれます。

彼は武人や政治家としてよりも歌人として名高く、今で言う写実的な歌風が当時から高く評価されており、新古今集にも選ばれています。

そんなところも平家物語以来、歌人であり武者であった悲劇のヒーローとして、源三位頼政が非常に人気がある原因かもしれませんね。

源三位頼政の年譜

  • 長治元年 兵庫頭 源仲正の長男として生まれる。母親は藤原友実の女。
  • 保元元年 保元の乱で後白河天皇方の源義朝の配下として出陣
  • 平治元年 平治の乱で平清盛側として出陣
  • 仁安元年 正五位下に叙せられ昇殿を許される
  • 治承二年 平清盛の推薦で従三位に叙せられ公卿に列す
  • 治承三年 出家
  • 治承四年 平家打倒を画策するも宇治川の戦いで破れ自刃

平家物語
平家物語は、なぜ、日本人の心をとらえるのか。 古典文学に造詣の深い著者が、代表的登場人物を通して清新な筆致で描く。

平家打倒の挙兵

源三位頼政の子供の源仲綱が伊豆守として伊豆に赴任した関係で、頼政は源頼朝や東国武士団との連携を深めていたと推測されます。

源三位頼政は東国の頼朝と連携して平家打倒を画策し、高倉宮以仁王をたきつけて平氏追討の令旨をもらい、密かに源行家に令旨を持たせて諸国の源氏の蜂起を呼びかけました。

このような彼の行動が平家の知るところとなり、源三位頼政は、高倉宮以仁王とともに南都の僧兵を頼って奈良に向かっていました。

以仁王らの策略を察知した平家は、平知盛らに大軍を指揮させて以仁王らに迫ってきます。

源三位頼政は平等院に陣をしき、平家は宇治川の北岸から攻めたてました。 これが平家物語で有名な宇治川の戦いです。

兵力に劣る頼政は奮戦およばず敗退し、頼政は平等院内で自刃しました。治承4年5月26日のことで、享年77と言われております。

源三位頼政が自刃した場所が、「扇の芝」として伝えられており、 頼政の墓地も平等院内にあります。

源三位頼政の歌

新古今の作歌技量をベースとしながら、現代的な写実の心に近いものを持っていた歌人。 代表作は
  • 深山木のその梢とも見えざりし桜は花にあらはれにけり (詞花集)
  • 今宵たれすずふく風を身にしめて吉野のたけに月を見るらん (新古今集)
  • 都にはまだ青葉にて見しかども紅葉ちりしく白河の関 (千載集)
  • 庭の面はまだかわかぬに夕立の空さりげなくすめる月かな (新古今集)
  • 埋れ木の花さく事もなかりしに身のなる果ぞ悲しかりける (平家物語)
「深山木のー」は平家物語や源平盛衰記にも引用されている名歌。 冬の枝枯れの中から山桜が花を咲かせる様子を見事に詠んでいます。

「埋れ木のー」は辞世の歌。平家物語前半のハイライトシーンですね。

百人一首92の「我わ袖はー」の作者の二条院讃岐は源三位頼政の娘です。

また小侍従は彼の恋人と言われております。

 

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