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	<title>インターネット歴史事典 &#187; 武田軍団</title>
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	<description>日本や世界の歴史上の人物や出来事をご紹介しております。</description>
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		<title>高坂弾正</title>
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		<pubDate>Fri, 03 Apr 2009 23:36:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[武田軍団]]></category>
		<category><![CDATA[高坂弾正]]></category>

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		<description><![CDATA[高坂弾正（昌信）は石和の豪農春日氏の生まれで春日源助のちに春日虎綱と名乗っていたようです。

抜群の美貌？で武田晴信に奥小姓として召抱えられます。
武田晴信が高坂昌信に浮気？を詫びた書状が現存しており、相当に深い仲だった [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>高坂弾正（昌信）は石和の豪農春日氏の生まれで春日源助のちに春日虎綱と名乗っていたようです。<br />
<P><br />
抜群の美貌？で武田晴信に奥小姓として召抱えられます。<br />
武田晴信が高坂昌信に浮気？を詫びた書状が現存しており、相当に深い仲だったと思われます。<br />
<P><br />
長じて後は、用兵が極めて巧みで高坂弾正は「逃げの弾正」と呼ばれていました。<br />
武田信玄の信頼は絶大で、最前線の重要な城の城主を歴任し、<br />
川中島の決戦後は北信濃全域を任されています。<br />
その功績で信濃の名家高坂家の名跡を継いで高坂弾正忠昌信と名乗ります。<br />
<P><br />
長篠の戦いで破れた武田勝頼を出迎えたのも高坂弾正でしたが、<br />
その3年後に病死します。<br />
<P><br />
高坂弾正は武田の最盛期を駆け抜けた武将と言えるでしょう。</p>
<p><HR></p>
<p><H3>高坂弾正の年譜</H3></p>
<p><UL><br />
<LI>大永7年(1527)　石和の豪農　春日大隈の子として生まれる。<br />
<LI>天文11年(1542)　武田晴信の奥小姓として出仕<br />
<LI>天文21年(1552)　信州小岩嶽城攻めの功により侍大将<br />
<LI>天文22年(1553)　小諸城主<br />
<LI>弘治2年(1556)　雨飾城主<br />
<LI>永禄2年(1559)　海津城主<br />
<LI>天正6年(1578)　病死。享年５２</p>
<p></UL></p>
<table>
<tr>
<td>
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</td>
</tr>
</table>
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		<title>山本勘助</title>
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		<pubDate>Fri, 03 Apr 2009 23:32:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[武田軍団]]></category>
		<category><![CDATA[山本勘助]]></category>

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		<description><![CDATA[小説「風林火山」などで有名な山本勘助ですが、甲陽軍艦にしか記述されていない謎の人物です。
甲陽軍艦以外では武田晴信から信濃の国人に当てた書状に、使者として山本菅助という人物が出てくるだけです。
そのため、以前より山本勘助 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>小説「風林火山」などで有名な山本勘助ですが、甲陽軍艦にしか記述されていない謎の人物です。<br />
甲陽軍艦以外では武田晴信から信濃の国人に当てた書状に、使者として山本菅助という人物が出てくるだけです。<br />
そのため、以前より山本勘助は架空の人物との説が強いですね。<br />
そもそも甲陽軍艦は史実とは異なる記述が多く、1級の歴史資料とは言えません。<br />
<P><br />
甲陽軍艦の作者は高坂昌信とされますが、本当の作者はおそらく高坂昌信に近い別人であると考えられています。<br />
<P><br />
以下に示します甲陽軍艦の記述では、数々の功績はあるものの、諏訪の姫を武田晴信の側室としたこと、<br />
川中島の戦い（第4次）で啄木鳥戦法を提案し、多くの武将を討ち死にさせたことなど、<br />
武田家にとって負の側面も強いものです。<br />
<P><br />
高坂昌信が武田晴信の奥小姓であったことを考慮すると、<br />
武田晴信自身の大きな失策を、山本勘助という架空の人物に託することが甲陽軍艦の隠された意図ではないかと考えられます。<br />
山本勘助が召抱えられたのが諏訪家滅亡の前年というのも話ができすぎていますね。<br />
<P><br />
甲陽軍艦によると山本勘助の生まれは三河の牛窪。<br />
東三河六騎衆の山本氏の養子で、各地を武者修行し、京流軍学を会得したとされる。<br />
容姿は醜く、色黒で隻眼、無数の向う傷があり、足が不自由だったため、今川家への仕官を断られる。<br />
<P><br />
その後、築城術などを認められて武田家家臣となり、諏訪家滅亡後は、諏訪頼重の娘を武田晴信の側室にし、<br />
諏訪領安定を画策。<br />
天文15年の戸石崩れでは、陽動作戦を指揮し、全滅を免れる。この功績で山本勘助は足軽大将に抜擢されました。<br />
<P><br />
その後、高遠城や小諸城の築城や、上田原の戦い、海津城の築城など数々の功績をあげます。<br />
そして、有名な川中島の戦い（第４次）で啄木鳥戦法を提案するが、上杉謙信に見破られ、多くの武田の武将が討ち死にしたが、<br />
その中に山本勘助がいた。</p>
<p><HR></p>
<p><H3>山本勘助の年譜（甲陽軍艦の記述　内容だけでなく年号にも誤りがある）</H3></p>
<p><UL><br />
<LI>天文12年(1543)　武田家に200貫で召抱えられる。<br />
<LI>天文13年(1544)　諏訪家滅亡。頼重の娘を晴信の側室に推挙する。<br />
<LI>天文15年(1546)　戸石崩れ。武田軍の崩壊を救い足軽大将になる。<br />
<LI>天文16年(1547)　上田原の戦い。勘助の策で逆転勝利。<br />
<LI>天文22年(1553)　海津城築城<br />
<LI>永禄4年(1561)　第4次川中島の戦い。勘助の啄木鳥戦法が謙信に見破られ、勘助も討ち死に。</p>
<p></UL></p>
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<td>
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</td>
</tr>
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		<title>板垣信方</title>
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		<pubDate>Fri, 03 Apr 2009 23:27:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[武田軍団]]></category>
		<category><![CDATA[板垣信方]]></category>
		<category><![CDATA[甲斐源氏]]></category>

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		<description><![CDATA[板垣氏は甲斐源氏の傍流にあたり、板垣信方は武田信虎、武田晴信（信玄）の２代にわたって仕えました。

板垣信方は武田晴信の傅役となり、
武田信虎追放劇では主導的な役割を果たし、武田晴信政権樹立後は甘利虎泰とともに「両職」と [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>板垣氏は甲斐源氏の傍流にあたり、板垣信方は武田信虎、武田晴信（信玄）の２代にわたって仕えました。<br />
<P><br />
板垣信方は武田晴信の傅役となり、<br />
武田信虎追放劇では主導的な役割を果たし、武田晴信政権樹立後は甘利虎泰とともに「両職」として、<br />
政治、軍事の両面で信玄を支えました。<br />
<P><br />
甲陽軍艦では山本勘助を推薦したのも板垣信方ということになっています。<br />
諏訪氏攻略後は諏訪の郡代として、信濃経営の基礎を築きました。<br />
<P><br />
上田原の戦いでは緒戦の勝利に油断し、村上軍の急襲で壮絶な戦死を遂げます。<br />
<P><br />
板垣信方については、晴信を助ける宿老としての側面と、自らが信濃での戦国大名化を目指す豪族としての両面があるようで、<br />
甲陽軍艦などの軍記物では後者の立場を非難する記述が目立ちます。<br />
<P><br />
しかし、後者はあくまでも晴信が凡庸であったらの話であり、<br />
実際に武田家にとって代わろうという行動を起こしていたわけではありません。<br />
<P><br />
信方の子の信憲は父の死後、諏訪城代となりますが、天文21年に武田晴信によって処刑されています。<br />
その後、於曽光経が板垣信安となって板垣家を再興し、勝頼の時代に駿河田中城主となります。<br />
<P><br />
なお、明治時代の自由民権運動家の板垣退助は信方の直系の子孫と称しておりました。<br />
それによると信方の孫が浪人中に関が原の戦いで山内一豊軍に参加し、<br />
後に山内家の重臣乾家の養子となりました。板垣退助はもともと乾姓でしたが、このことにより板垣姓に改姓しています。<br />
<HR></p>
<p><H3>板垣信方の年譜</H3></p>
<p><UL><br />
<LI>大永元年（1521）侵入してきた今川氏親の武将福島正成を夜襲により撃退<br />
<LI>天文四年(1535)　武田信虎と外交問題で対立。駿河侵攻を命じられる。<br />
<LI>天文10年(1541)　<A HREF="nobutora.php">武田信虎</A>追放に同調し、<A HREF="singen.php">武田晴信</A>を擁立<br />
<LI>天文12年(1543)　佐久の志賀城攻略<br />
<LI>天文14年(1545)　高遠城攻略<br />
<LI>天文15年(1546)　笛吹峠で上杉憲政軍を破る<br />
<LI>天文16年(1547)　村上氏に敗れる<br />
<LI>天文17年(1548)　上田原の戦いで討ち死にする</p>
<p></UL></p>
<p><HR></p>
<table>
<tr>
<td>
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</td>
<td>
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</td>
</tr>
</table>
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		</item>
		<item>
		<title>甘利虎泰</title>
		<link>http://jiten8.biz/history/sengoku/takeda/amari.html</link>
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		<pubDate>Fri, 03 Apr 2009 23:23:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[武田軍団]]></category>
		<category><![CDATA[甘利虎泰]]></category>

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		<description><![CDATA[板垣氏と同じく甘利氏も甲斐源氏の一族で、甘利虎泰も板垣信方とともに、
武田信虎、
武田信玄の２代にわたって仕えました。

武田信虎追放劇では主導的な役割を果たし、武田晴信政権樹立後は板垣信方とともに「両職」として、
政治 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>板垣氏と同じく甘利氏も甲斐源氏の一族で、甘利虎泰も板垣信方とともに、<br />
武田信虎、<br />
武田信玄</A>の２代にわたって仕えました。<br />
<P><br />
武田信虎追放劇では主導的な役割を果たし、武田晴信政権樹立後は板垣信方とともに「両職」として、<br />
政治、軍事の両面で信玄を支えました。<br />
<P><br />
甘利虎泰は板垣信方に負けず劣らず勇猛果敢で、甘利隊は相手の武将たちから非常に恐れられたようで、<br />
甘利隊が出陣しただけで敵が撤退したという逸話が残っています。<br />
<P><br />
上田原の戦いでは板垣信方の討ち死に後、晴信を助けるために、村上軍の猛追を防ぎ壮絶な戦死を遂げます。<br />
<P><br />
長男の昌忠も勇猛で知られましたが、野尻城攻め後に落馬がもとで早世しました。<br />
<P><br />
次男の甘利信康は長篠の戦いでは百騎の侍大将として出陣しましたが、<br />
退却時に討ち死にしています。</p>
<p><HR><br />
　<br />
<H3>甘利虎泰の年譜</H3></p>
<p><UL><br />
<LI>永正五年（1508）油川信恵の居城勝山城奇襲作戦に参加</p>
<p><LI>天文10年(1541)　武田信虎追放に同調し、武田晴信（信玄）を擁立</p>
<p><LI>天文17年(1548)　上田原の戦いで討ち死にする</p>
<p></UL></p>
<p><HR></p>
<table>
<tr>
<td>
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</td>
<td>
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戦国乱世を読み解く、武将・氏族・合戦の計１０６３項目を三編に分け解説。肖像・花押・合戦図屏風などを多数掲載し、読むほどに興味と理解が広がる入門書としても最適な本格的事典。ユニークな在世年表、便利な索引付。
</td>
</tr>
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		</item>
		<item>
		<title>武田信虎</title>
		<link>http://jiten8.biz/history/sengoku/takeda/nobutora.html</link>
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		<pubDate>Fri, 03 Apr 2009 23:19:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[武田軍団]]></category>
		<category><![CDATA[武田信虎]]></category>

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		<description><![CDATA[甲斐と佐久を平定するなど武田氏の戦国大名化に大きな役割を果たしました。

武田信虎は勇猛果敢にして、甲斐の諸豪族を武力で付き従わせ、介入してきた今川の大軍を撃破するなど、
武将として優れた素質を持っていました。

また、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>甲斐と佐久を平定するなど武田氏の戦国大名化に大きな役割を果たしました。<br />
<P><br />
武田信虎は勇猛果敢にして、甲斐の諸豪族を武力で付き従わせ、介入してきた今川の大軍を撃破するなど、<br />
武将として優れた素質を持っていました。<br />
<P><br />
また、今川家の内紛時には今川義元側について、今川義元の駿河守護就任を後押しし、<br />
その縁で、その後長く続く武田今川の同盟関係を確立するなど、外交面でも活躍しました。<br />
<P><br />
しかし、内政面では見るべき政策はなく、外征費用を重税でまかなったために民心が離反し、<br />
息子晴信一派によって駿河に追放されてしまいます。<br />
<P><br />
結局、武田信虎は信玄の死の直後に信濃高遠に引き取られ、孫の武田勝頼との対面も果たしますが、<br />
信玄の後を追うように翌年死去します。享年81とも言われる、豪傑の寂しい死に際でした。</p>
<p><H3>武田信虎の年譜</H3></p>
<p><UL><br />
<LI>？　信濃守護　武田信縄の子として生まれる<br />
<LI>永正4年(1507)　父の死により家督を相続し、信濃守護となる<br />
<LI>永正5年(1508)　相続に異をとなえた叔父信恵を滅ぼす<br />
<LI>大永元年(1521)　武田晴信（信玄）誕生、上条河原で今川の大軍を破る<br />
<LI>天文5年(1536)　今川との同盟成立<br />
<LI>天文10年(1541)　佐久平定、しかし武田晴信らにより甲斐を追放され、今川家に寄食<br />
<LI>天正元年(1573)　武田信玄　死去、信虎　信濃高遠に<br />
<LI>天文2年(1574)　信虎　高遠で死去</p>
<p></UL></p>
<p><HR></p>
<table>
<tr>
<td>
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<td>
<a href="http://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/04646ea5.9acd6e5e.04646ea6.a34a1800/?pc=http%3a%2f%2fitem.rakuten.co.jp%2fbook%2f1765367%2f&#038;m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2fbook%2fi%2f11344711%2f" target="_blank">戦国武将・合戦事典</A><br />
戦国乱世を読み解く、武将・氏族・合戦の計１０６３項目を三編に分け解説。肖像・花押・合戦図屏風などを多数掲載し、読むほどに興味と理解が広がる入門書としても最適な本格的事典。ユニークな在世年表、便利な索引付。
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		<title>武田信玄</title>
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		<pubDate>Fri, 03 Apr 2009 23:17:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[武田軍団]]></category>
		<category><![CDATA[武田信玄]]></category>

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		<description><![CDATA[武田信玄はビジネスマンに最も人気のある戦国大名ですね。
甲斐源氏の名門に生まれながら、風林火山の旗のもとに巧みな采配で敵陣を切り崩し、
一方で、卓越した外交手腕で敵を孤立させる。
領国経営でも信玄は他の戦国武将から卓越し [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>武田信玄はビジネスマンに最も人気のある戦国大名ですね。<br />
甲斐源氏の名門に生まれながら、風林火山の旗のもとに巧みな采配で敵陣を切り崩し、<br />
一方で、卓越した外交手腕で敵を孤立させる。<br />
領国経営でも信玄は他の戦国武将から卓越した能力を発揮します。<br />
<P>家臣たちから人望を失った実の父を放逐し、家督を相続すると、<br />
笛吹川の堤防工事や金山開発など、山深い甲斐の国の国力増強に努めました。<br />
<P>外交面でも、駿河の今川義元、小田原の北条氏康と三国同盟を結び、後顧の憂いをなくしてから、<br />
信濃侵略を進めます。<br />
<P>信濃侵攻にあたっても、力攻めだけでなく、買収や謀略を使って、効率的に版図を拡大します。<br />
上杉謙信とは川中島で５度戦いますが、最終的に川中島周辺の北信濃も武田領となり、<br />
確実な領国拡大につなげています。<br />
<P>元亀３年の上洛作戦も、一見無謀のように見えますが、朝倉義景、浅井長政、松永弾正、長島一向一揆、<br />
石山本願寺、三好義継、雑賀衆、畠山貞政などに周到に根回しして、織田徳川連合軍に対する<br />
完全な包囲網を形成しています。<br />
三方ケ原の戦いでも、家康の性格と松平軍の軍備を研究しつくした上で、<br />
松平軍主力を三方ケ原の台地に、まんまとおびき寄せました。<br />
<P>今も昔も、「信玄が病に倒れなかったら」ということが言われます。<br />
おそらくは織田信長は敗死したと思われますが、<br />
信玄の持つ古い体質と高齢のため、武田政権も長続きしなかったのではないかと思われます。<br />
でも、このあたりが、信玄の魅力として、人々から慕われているのでしょう。</p>
<p><H3>武田信玄の年譜</H3><br />
<UL><br />
  <LI>大永元年(1521)　甲斐の守護大名　<A HREF="nobutora.php">武田信虎</A>の長男として生まれる<br />
  <LI>天文6年(1537)　12月27日　佐久　海の口城をわずかな手勢で攻略<br />
  <LI>天文10年(1541)　父　信虎を駿河に追放<br />
  <LI>天文11年(1542)　諏訪頼重、高遠頼継を滅ぼす<br />
  <LI>天文17年(1548)　村上義清と上田原に戦い、多大の損害を出す<br />
  <LI>天文19年(1550)　小笠原長時を破るが、村上義清と戸石で戦い敗戦<br />
  <LI>天文22年(1553)　村上義清を破る。第1回川中島合戦（対　<A HREF="../uesugi/kensin.php">上杉謙信</A>）<br />
  <LI>弘治元年(1555)　第2回川中島合戦<br />
  <LI>弘治3年(1557)　第3回川中島合戦<br />
  <LI>永禄4年(1561)　第4回川中島合戦。武田信繁、山本勘助ら討ち死。<br />
  <LI>永禄7年(1564)　第5回川中島合戦<br />
  <LI>永禄9年(1566)　上野　箕輪城を攻略<br />
  <LI>永禄12年(1569)　小田原城攻撃後、三増峠で北条勢を撃破。駿河府中城を攻略<br />
  <LI>元亀3年(1572)　三方ヶ原の戦いで徳川家康を撃破。<br />
  <LI>天正元年(1573)　信玄、病により武田軍退却するも、信州駒場で信玄逝去。享年５３<br />
</UL></p>
<p><HR></p>
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戦国乱世を読み解く、武将・氏族・合戦の計１０６３項目を三編に分け解説。肖像・花押・合戦図屏風などを多数掲載し、読むほどに興味と理解が広がる入門書としても最適な本格的事典。ユニークな在世年表、便利な索引付。
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